生きている実感を増やすために その2

「家」って、生活の中でかなり長い時間を過ごしています。寝ている時間が7時間だとして、その前後、僕だったら19時くらいには家に帰ってきて、ごはんを食べて、23時くらいに寝ると4時間くらい。朝は7時くらいに起きて、9時くらいに出勤するとして2時間くらい。

そうすると、平日で合計13時間。これが休日だともう少し長くなるし、最近はコロナで在宅も増えているので、一日中家にいる、という人も多いかも知れません。

そうすると、短くても生活の半分以上、長い時はもっと「家」にいるわけです。

この「家」は、もっと面白くできるんじゃないのかな、と思い始めたのが、「物件ファン」を始めたきっかけです。

インターネットは人生を豊かにしたか

インターネットの仕事をしていたのに、急に不動産の仕事を始めるなんて、どうしたんですか?と、たまに聞かれるんですが、自分の中ではそれほど変わったとは思っていないんです。

ちょっと大きな話になってしまいますけど、僕は「人の生活を豊かにしたい」と思っています。

はてなのミッションページにも、

「知る」「つながる」「表現する」で新しい体験を提供し、人の生活を豊かにする

と書いてあります。これは以前に、自分も関わって決めた、はてな社のミッションです。

ミッションなんてまあ、きれい事を並べて、この会社は世の中のために良いことをやっているんだ、という姿勢を見せるような側面もあるかも知れませんが、いや、そんなことじゃなくて、本当に僕は、「人の生活を豊かにしたい」と思ってるんです。本当に。

だって、前回も書きましたけど、仕事をするって、自分のためだけにやるのは結構つまらないと思うんです。俺ってすごいだろう、とひけらかしたり、お金を儲けて自慢したり、というのでは、どこか虚しい。

じゃあどういう時に一番「仕事をやって良かったな」と思えるかといえば、それは「人が喜んでくれる」時だと思うんです。

「良い製品を作ってくれてありがとう」とか、「あなた達のおかげでこんなに嬉しいことがありました」と、人が喜んでくれる時に、一番喜びを感じます。

人が喜んでくれるってどういう時かといえば、一瞬笑わせて喜んでもらうような、そういう喜ばせ方もあると思うんですけど、僕は芸人さんでもなければ口が達者なわけでもないし、そういうことは到底できない。

じゃあどういう風になら喜んでもらえるかというと、じんわりじんわりと時間をかけて、生活の質が少し変化するようなものを作って、その結果として、一瞬ではなくて、もっと長期的に、生活の質が変わるような、長期戦なら、自分でもできると思ったわけです。持久走みたいに、少しずつ根気強く進み続けて、ふと気づくといつの間にか随分遠くまで来たぞ、というように、いつの間にか世の中が変わっているような、そういう変化です。

なんなら、一度それを使い始めたら、もう後には戻れなくなって、それ無しでは生活できない、というくらいの、不可逆な変化が起こせるようなものを作れたら、その成果は長い間残っていきます。そうすると、「実はあれを作ったのは僕たちなんだよ」と、後でちょっとくらい自慢できるかな、というくらいの、個人的な喜びを期待している部分はありますが、僕の仕事のモチベーションというのは、大体そういう感じです。あとでちょっと、「にやっ」とできたら良いな、みたいな。

はてなを始めた頃というのは、インターネットが明らかに、これからどんどんと人の生活の質を変えていくだろう、という確信があった。これまでできなかったことができるようになり、新しい仕組みを毎日使って、人の生活が変わっていくだろうと思いました。

いろいろな変化が起こるだろうけど、その中でも特に僕が関心があったのは、人と人がつながる部分です。

昔の日本って、放っておいても、人と人が今よりつながっていたと思うんです。うちの田舎でも、こどもの頃は勝手に人が玄関を開けて入ってきたり、お葬式も自宅の広間でやっていて、地域の人がわらわらと集まってきたり、という名残りが残っていました。昭和のある時期までは、全国そういう感じだったんじゃないかと思いますし、さらに昔はもっと人同士の生身の交流が多かったと思うんです。

まあもちろん、良いことばかりじゃなくて、煩わしい側面もあったと思いますけど、良い面も悪い面も含めて、プラスもマイナスも含めて、人と人がつながっていたと思うんです。

それが、高度経済成長時代を経て、都市化が進み、個人主義的な考え方が広がり、どんどん家や街が効率化されていく中で、人が孤立していった。

僕は大学入学の時に、京都ではじめて下宿をしたんですけど、その時に不動産屋さんの勧めるままに、ワンルームマンションを借りました。最初は新しくてきれいな部屋だな、とうれしかったんですが、すぐにその寂しさに気づいた。大学生の下宿ともなれば、きっと他の学生とのつながりが生まれて、楽しいに違いない、と思っていたんですが、ワンルームマンションでは、隣りに誰が住んでいるのかもよく分からない。せいぜい廊下で会った時に、名前も知らない人と「こんにちは」と挨拶を交わす程度。これが本当にみんなやりたいことなのか、と強く疑問に思いました。

学生だけじゃなくて、日本の都市の家といえば、マンションとか一軒家とか、プライバシーが守られている家が良いとされているけど、本当に、本当にみんなこれが一番良いと思って住んでいるのかな、と疑問に思いました。

そんな時に出会ったのがインターネットです。パソコンから誰とでもつながることができる。そんなの今考えたら当たり前じゃないか、と思うかもしれませんが、1990年代以前というのは、せいぜい電話があるくらいで、人と話そうと思っても、不特定多数の人と話すような仕組みはなかったんです。(今改めて考えると、にわかには信じがたい話ですけど、これは本当の話です。笑)

それでインターネットに夢中になり、いつの間にかそれを仕事にしていました。

はてなで、ブログを作ったり(今書いてるこれですね)、ブックマークを作ったりと、新しい仕組みを考えて作りましたが、その時は、本当にそうした新しい仕組みが、人の生活を豊かにしていく実感があった。それまでつながることができなかった人と、つながることができる。

自分の考えを書いたり、そんなたいそうなことじゃなくても、日記みたいな普段の些細なことでも良いから、ブラウザからちょこちょこ書くだけで、知らない人が読んでくれたり、興味を持ってコメントをくれたりする。それまで、不特定多数の人とつながる仕組みが無かったことを考えれば、そんな体験が、革命のように思えました。

これぞまさしく、「一度使い始めたらもう後には戻れない不可逆な変化だ」と思いました。

インターネットの外の、リアルな社会でも充実した人間関係を構築できている人にとっては、便利なツールが一つ増えた、くらいの変化だったかもしれませんが、リアルな社会では人付き合いが苦手な人(僕もその一人ですが)にとっては、ネットはまさに福音と言えるものだったと思います。人との関係がなかなかうまく築けなかったり、勉強や仕事や家事をしているだけでは、なかなか豊かな人間関係が作れなかった人にとって、インターネットこそが、人とつながる拠り所になった人も多いと思います。

15年くらいそうやって、インターネット上で新しい仕組みを考えては作る仕事をしていました。ちょうどこの時期に生んでもらえて、幸運だったと思います。だって、同じ時期に生まれて、自分がどういう仕事をするかを選ぶことはできますけど、たとえばインターネットが無い時代や、すっかり広まった後に生まれていたら、どれだけ新しい仕組みを作ろうと思っても、難しかったと思います。

ですけども、15年くらいやっていると、かなりいろんなサービスが揃ってきました。ブログもそうだし、SNSとか、動画サービスとか、ネット上で人とつながろうと思えば、あらゆる方法でつながることはできるし、何か面白いものを見たいと思えば、いつだって見られるようになりました。

インターネットは、人の生活を豊かにしたと思います。もう、これなしでは生きられないでしょう。

けれど、ここから、今この瞬間から未来に向けて、新たに変化が起きる部分はどこなのかというと、ちょっと目を外に向けた方が面白いと感じ始めました。

インターネットはこれからも相変わらず、生活の中の大きなパートを担うでしょうし、それはとても重要なパートなんですが、随分いろいろなものが既に揃ってきていて、やりたいことはできるようになっている。

むしろ、インターネットの外に目を向けた方が、いろいろと古いままの仕組みがそのままになっていて、変化が必要なんじゃないか。ここから新しいものを作って、変化を起こせるのは、インターネットの外の世界なんじゃないか、と感じ始めました。

家の話をしようと思っていたのに、少し横道にそれてインターネットの話をし始めたら、すっかり長くなってしまいました。ここのところは、ついつい熱くなっちゃいますね。笑

次回に続きます。