ネットの分身

自分のブログをよく更新するようになってインターネットとの接し方が少し違って感じるようになって来た。今までブログを書いたときにも感じていたし、これまで何度も語られてきたことではあるけど、ブログを書くというのはネット世界に自分の分身を置くようなものだなと改めて感じる。ブログの記事を書いておくと、しばらく経ってから何か他の人から反応が無いかと思ってネットを見るようになるし、それは何も書かずに他人が書いたものを見るためにネットに向かう時の感覚とは大きく異なる。
楽しみ半分、怖さ半分、という少し複雑な思いを持ちながら、自分がネットの中に出したものがどういう扱いになっているのかを見に自分のブログを覗く。その道具がブログで無くても良いかもしれないが、多かれ少なかれこれからよりたくさんの人がネットの中に自分の分身を置き、これに似た感覚にも支えられながらネット上の人格を維持していく生活になっていくのではないかと思う。それが他人の評価を求めるだけの動機に支えるものではなく、第一義的にはより実用的な用途によるものだとは思うし、相手が全世界に公開されておらず、身の回りの親しい人に限定されているかも知れないが、それらを含めて、こうした方向性は止まらないだろう。はてなでそういうインフラを作りたいと思う。
ところでブログを公開している感覚は何に似ているかなと思って、例えば写真の個展を開くのに似ている気がした。来場者ノートはコメント欄だし、会場に居てどんな人が来場するのかずっと見ているタイプの人は、はてなカウンターで読者の行動を追う。ブログが写真の個展だとしたら、はてなブックマークはバスに乗った団体客みたいな感じだと思った。ぞろぞろやってきてなんとなく似たような感想を言って帰っていく。たくさん来てくれて嬉しいけど、たまにもう少し個別に訪れてもらってちゃんと話をしたいと思う、でもできない、みたいな客だ。総体として一つの人格を持っているような感じがするが、だからと言ってそれに対して話はできない不思議な存在だなと思う。