ネットの分身その二

たとえばブログとブックマークの関係について考えるときに、いくつか思い返す言葉がある。茂木健一郎さんは、「表現者はいいわけをしてはいけない」と言うことを言っている。

「本当は、こういう意味だったんです」
「あなたのその意見は誤解です」
などと、補ったり、修正したり
することは、表現者としての本分に反する。

どんなにひどい曲解をされても、
真意をつかんでくれなくても、
我慢しなければならない。
自分の表現がまだ拙いから
わかってもらえなかったのだと、
修練による向上を志向しなければならない。
..
だから、表現者という者は、
長く真摯な経験を積んだ者ほど、
じっと耐えている気配をにじませるように
なるものである。
そこには一つの諦念がある。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/11/post_b806.html

長く真摯な経験を積んだ者ほど、じっと耐えている気配をにじませている、というのは、何というか非常に重く、そして心の拠り所になる言葉だ。ものを作って表現をする職業を選んだ人は、こういう厳しさを乗り越えて行かなくてはいけないのだと、はっと気付かされる。
でもこれは、表現者という道を選んだ人の話であって、これをブログに当てはめたときに、ほとんどの人は表現者になろうなんて思ってない、日記程度の気持ちで軽く書いているだけなのに表現云々と言われても困る、という現実がある。
もう一つの言葉として、「ブックマークされたくない」という不特定多数の言葉がある。この声ははてなにも多く寄せられている。自分は多くの人に向けて表現しようなんて思っていないし、個人的なことを綴りたいだけだ。だからブックマークされない権利があっても良いはずだ、という声だ。
これも多くの人がすでに語っていることだけど、この辺りに今のブログの課題があると思う。ブックマークは悪くないと思う。ブログを閲覧している人は、最初からそれだけ存在していたわけだし、それが可視化された事自体が有意義なはずだ。また、インターネットに何か面白い情報がないかと求めている人がいて、ネタがあればバスに乗ってやってくるという行動も、どんな形を取ろうと無くならないだろう。
仕組みの進化が要請されているのだと思う。分身をここに置きながら、次の仕組みを考えていきたい。