洋食?和食?

最近がんばってるなー、と思っていた会社のメンバーとご飯を食べに行きました。
この人だとイタリアンだよなあ、と思って自然な流れでイタリアンに行ったのですが、よく考えると相手によって明らかに洋食が良いな、とか、座敷で和食が良いよね、とか、相性があります。相手に合ったお店にいけると話も弾むし相性面白いです。
それで、さらに洋食が合う人と和食が合う人の違いって何なのかな、と考えたのですが、結構普段の趣味にもそれが出ていて、洋食系の人は映画だったら洋画が好きとかオペラが好きとか、逆に和食系の人は歌舞伎とか相撲とか日本の伝統芸能が好き、とか傾向があるなと感じました。もちろん両方好きな人もいます。
それで、さらにもう少し踏み込んで考えると、人とのコミュニケーションの取り方とかもそういう好みが出ているかも、と考えたり。たとえばTED好きです、とかはやっぱり洋食系ですよね、とか。和食系だと、プレゼンというより礼儀とかを大事にしたり。
人の好み、面白いですね。

君が歩くのを待っている

困っている自分を見つけて、かまってくれる人には2タイプいる。
助けてあげたい、と思って、こうしたら良いよ、とアドバイスをくれる人。そのやり方はやめなさいと叱ってくれる人。両方とも、うまい方法を教えることで人間を変えようとしている点で似ている。人は言葉で変えられる、という信念に基づいている。
何もしてくれない人よりも随分親切だ。わざわざ自分の時間を使って、相手のために労力を割いてくれる。かまってくれるだけでありがたい。
ただ問題に気付いていないだけの時や、ちょっとしたコツが分からない時には、そういう人の言葉がすごく効果的になる。あんまり強い言い方や、人前で批判されると、心が閉じてしまうけど。
自分よりも弱い人を見つけて、アドバイスを装って自分を満足させようと寄ってくる人には要注意だ。そういう人は、親切そうにしているけど、本当は自分も弱い。お互いに弱みを握り合って相互依存に陥ってしまう。

具体的なアドバイスで問題が解決するのも、細かい問題までだ。大きな問題になってくると、なかなかそんな言葉ひとつでは変わらない。たとえば、毎日笑顔で過ごせば人付き合いが楽になるよ、なんて言われても、翌日からずっと笑顔になれる人なんていない。なにせ人が変わるのは難しい。時間がかかる。そして、自分からしか変われない。

2つ目のタイプは、君がやりたい事をやるのを待っている、という態度で接する人。どうしたの?と心から聞いてくれる人。君にはきっと壁を乗り越える力がある。僕は君がその壁を乗り越えるのを待っている、という態度で接してくれる人。

大きな変化を起こすことができるのは2つ目のタイプなのに、なかなかそのありがたみに気付かない。最初はもっと具体的なアドバイスが欲しい、と物足りなく思ったりする。でも、自分が持っている力を信じてくれる人が一番強い。自分が本来持っている力で起き上がり、歩き始めることを心から楽しみにしてくれる人。歩き始めた自分がどこに行くのかを、わくわくしながら見守ってくれる人。本当に大切にすべきなのは、そういう関係だと思う。

リーダーはどこから生まれるか

妻の実家は大阪の大きな団地にあります。お父さんは長年メーカーに務めて毎朝会社でラジオ体操をしていました。定年退職して、会社にいかなくなったので、その後は毎朝団地の近くの広場でラジオ体操を始めたそうです。毎朝6時半にラジオをつけて、一人で体操を続けてきました。

一人で体操を続けて12年目、体操の様子を見ていた近所のおばさんからある日、体操を教えて欲しいとお願いをされたそうです。体操を教えるには反対向きに体を動かさないといけないけど、そんな事はできないから教えられない、と断ったそうですが、それでも食い下がられるので、背中を見て勝手に真似してくれるなら構わない、と承諾したそうです。するとそのおばさんの仲間が次々と朝のラジオ体操に参加しはじめ、今では多い時に40人ほどが集まるようになったというのです。

40人のご婦人に囲まれながら体操をしている義父の姿を一度見てみたいところですが、それはひとまずおいておいて、この話を聞いて僕は、リーダーとはなにか、を考えさせられました。

リーダーというと、人の上に立つ人、というイメージがあります。最初からたくさんの人がいて、その人たちをまとめる人、というイメージです。しかし、12年間一人で、誰を従えるつもりでもなく体操していた父の元に人が集まってきた話を聞いていて、リーダーの本質とはそういうものではないか、と感じました。そもそも人を従える事が目的ではなく、たとえ一人であろうとやりたい事があり、それをやり続けようとする。その行為を見ていて周りの人がついつい参加したくなる。そういうものかも知れないな、と思いました。