こころの未来

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京都大学こころの未来研究センターの研究者の方々と座談会をする機会がありました。最初取材の依頼をもらったときは「こころの未来って一体何を研究しているのだろう」というのと、「僕が出ていって何を話せばいいのだろうか」と思ったのですが、いざ話してみるとなかなか興味深い話ができました。
一番面白かったのは、「こころは人の中に個別にあるのではなくて、人と人とのネットワークの中にあるのかも知れない」という話です。なんとなく心というのは、脳の働きの総体みたいなもので、各個人の体の中にあると思っていたわけですが、言われてみれば心の動きの多くは、「好き」だとか「嬉しい」とか「憎い」とか、人との間の関係の中で生まれるもので、しかも相手と共有しているものも多いですから、それが外部の人との関係性の中に存在するという考えは説得力があり面白いと思いました。
そもそも心が特定の脳細胞とか、単一の部位の中に存在するものではなくて、体の中で広範に存在しているものだとすれば、それが近くの人間と共有されていても全く不思議ではないという気もします。
たとえばはてなが京都に戻ってくる時には、「京都の街は時間の流れがほどよくゆっくりしているから集中できる」といったようなことを話していたわけですが、心が人と人の間に存在するとすれば、その集まりとして「街の心」みたいなものもあるのかも知れません。京都の心、東京の心、シリコンバレーの心、みたいなものがあって、それがゆるく世界中で繋がっていて、結局こころはひとつ、というのも面白い考え方かなと思いました。
そうなると、「はてなの心」とか「インターネットの心」みたいなものもあるんだろうなと思いいたるわけですが、さて、「はてなの心」は今外部から見るとどういう心なんだろう、「インターネットの心」はどこまで均質化でき、あるいはどこまで偏在できるのだろう、ということを考えてしまいます。