弱者からの革命

うさんくささからの脱却、という事と同時によく考える事に、弱者からの革命、という事がある。社会の大きな変革は、それが起こらないとどうしようもないという切実な問題を抱えた者にいかに応えるかというところから起こるのではないか、という事だ。インターネットがないとどうしようもないという人々、生活の大半、自分が社会と認知しているものの大半はインターネットである、という状態の人々がいる。こういう人と真剣に向き合い、自分もその立場に身を置くことで見えてくる可能性から未来を拓く事ができるように思う。
例えば最近サイボーグ技術が非常に進化しているようで、少し前にとある映像で見たのは、腕を失った人が、胸の神経近くに電極をつけ、「腕を動かしたい」という意思を電極から汲み取ってその意思に応じてサイボーグの腕を動かすというものだった。慣れてくると次第にコップを持って動かす事くらいはできるようになる様子を見て衝撃を受けた。また別の事例では、目が見えなくなった人が頭部に電極をつけ、CCDカメラから映像信号を送って明るさを感知できる程度に視覚を得る事ができたという事例もあるようだ。
腕が欲しい、視覚が欲しい、という要請はあまりに切実である。あまりに切実であるがゆえに、たとえば人間型ロボットなどよりも現実的な問題を解決するために開発が進められる。その結果、否応なく技術が進化する。将来もし一般家庭にロボットとサイボーグのどちらが先に普及するか、と聞かれたら、僕はサイボーグなのではないかと思う。重い荷物を運ぶ際に取り付ける補助アームだとか、視界を広げる補助視力だとか、そういうものの方がロボットよりも先にやってくるのではないか。
インターネットも同様に人を救っている側面があると思う。他人とうまくコミュニケーションが取れない、地方に居るために最新の情報に接する事ができない、気の合う仲間を見つけられない、といったさまざまな弱さを抱えている人にとっては無くてはならないものになりつつある。自分自身、大学生時代に初めてインターネットに接し夢中になったのは、自分の弱さ、人と接する事の苦手さが大きく関係していたようにも思う。
アメリカ、Hatena Inc.での活動時期には、人との接点、特に日本との接点は全てインターネット、という状況になった。会社の社員、友人、両親、はてなユーザーなどの日本側の全ての人間関係をインターネットだけでどうやってつなげるか、という状況になる。そのためにインターネットを活用する時間が増えるし、インターネットについて考える時間が自ずと増え、そこに足りないものは何かと考え続けた。
例えばはてなスターはそのようにして生まれた。社内のグループウェアで、言葉で仕事のやり取りをするのだが、読んでもらったのかどうかも分からない、わざわざトラックバックで返事をするまでもないけど、軽く賛同の意を表したい、など、同じオフィスで一緒に働いていればほとんど問題にならないようなコミュニケーション上の問題も、遠く時差のあるアメリカから文字だけでコミュニケーションしている場合には切実な問題となる。そうした問題を抱えた者にとっては、例えばはてなスターは「無くてはならないもの」として浮かび上がってくる。
自宅が世界遺産に登録されているメキシコの建築家、ルイス・バラガンは生涯独身を通し、多くの時間を自宅での瞑想に費やしたという。自宅のダイニングの壁には「孤独」と書かれた皿が一枚掛けられており、「孤独とは良き友のことだ。」という言葉を本人も残している。自宅で一人、人と建築の関係について考え続けたのだという。最初にこの事を知った時、僕はうさんくさいなど通り越して、ぞっとするような畏怖の念を覚えた。
ある時はそのような集中の度合いを持って、インターネットの事だけを考え続ける、そしてある時は、インターネットから遠く距離を取り、まだそれを必要としていない人には現在の様子がどう写っているのかを見る。適度な距離を一定に保とうとするのではなく、両方の視点を常に往復し続ける、切実な問題を自分でも抱えそれを解こうとする、一方でその道具を外の人にも使ってもらうには何をすれば良いのかを考える、この視点の往復が大事なのではないかと思う。