猛烈なアウェー感

関西在住経験のない社員たちの間で「猛烈なアウェー感」という言葉が流行りだした。もともとid:kossyが言い始めたのだが、どこを歩いても関西弁なので、アウェー感を感じるらしい。夜中に町を歩いていると関西弁で客引きされるのが怖いとか、店に入ると関西弁で接客されるので遠慮してしまうとか、関西弁が英語に聞こえるとか、そんな声が聞こえてくる。
僕はまるで何も感じなかったというか、さすがに10年も京都に住んだことがあると初日に少し懐かしい感じがしたくらいですっかり慣れてしまっている。(というか最近関西弁と関東弁がそれほど違うように感じなくなっている。英語と日本語に比べれば大した変わりはないし、自分が何弁か分からない言葉になっているせいもあるように思う)
アウェー感を感じる代わりに、自分は「ああ、京都ってこういう場所だったなあ」といろいろ再発見をする毎日だ。まず周りの人がなつっこい。サービスエリアで止まっているだけで話しかけてくるし、町の中でも知らない人と声を掛け合う機会が増える。そういえば地下鉄に乗ったりすると、社内でおしゃべりしている人も多い。電車の中でおしゃべりしている人の比率と、都会度は反比例しているように思う。
それから町のサイズ。アメリカとも違うし東京とも違う京都のサイズがある。碁盤の目の道路に信号が100mおきくらいに並んでいるので、車で走っているとしょっちゅう信号で止まる感じとか、自転車で赤信号を避けながらジグザグに走る感じとか、鴨川をあるいているとしなもんを走らせることのできるなにもないスペースがある感じとか、昔ながらの路地を歩くと車が通れないような細い道の脇に民家が並んでいる感じとか、以前は何気なく見過ごしていた景色が今は新鮮だ。町にはその町独特のサイズがあって、それが環境として人にどれだけ影響を与えるか、ということを考えてしまう。