スルー力なんて無くていい

なんか最近「スルー力」という言葉が流行っていて驚いているのですが、「なんでも華麗にスルーできる人は偉い」というような価値観だけが蔓延するのもどうかなあ、と思っています。
確かにどうでも良いような意見をうじうじと考え続けているのは勿体無くて、自分が価値を出せる分野に自分の力を集中させるべきだ、というケースはよくあって、例えば自分が好きな音楽のアーティストが、作曲なんて決してできないような音楽好きの人から「音楽性が低い」とかなんとか批判を受けたとしても、うじうじ悩むよりも次の曲を作ってくれ、と思うわけですが、でもそのアーティストがまだ駆け出しの若いアーティストだったとして、多くの人が思っている部分を改善しさえすれば凄い大物アーティストになる、というような場合に、そのアーティストが批判をスルーするのは致命的なわけで、スルーせずに受け入れられるかどうかがアーティスト生命を左右するような場合だってあると思うのです。
社内で随分と仕事の面で成長した人とかを見ていると、他の人に言われたことをとりあえず言われたままにやってみる、というスルーとは全く逆の事をやって随分成長していたり、自分の尊敬できる人なんかを見ていても実はかなりスルー力が無くて随分悩んでいて、家族とか信用できる人とかに愚痴なんかを言いながらも、他人の意見の中の重要な部分をちゃんと自分の中に取り込んで自分を高めていっているように見受けられる人が多いように思います。
他人が自分に対して意見を言うのは、他人が自分に対して興味を持っている証拠であり、その興味を最大限生かす鍵は、意味のある意見を「スルーしない力」だと思います。むしろ大事なのは、意味のない意見をフィルタリングして「その意見はくだらないよ」と言ってくれるような信頼できる人間が身近にいるかどうかじゃないか、なんて事を思いました。