「あいつのここが我慢できない」とか「お前のこのやり方は嫌いだ」みたいな事が起こったときに、できれば「議論」か「許容」で問題が解決できるようになりたいものです。
人間は人それぞれ別々なんだから、色々と違う部分があるのは当然で、色々違うから不満とか対立とかいざこざとか好き嫌いとかが起こります。
そういう問題を解決する方法にはいくつかレイヤーがあって、
- 議論・許容
- 陰口
- 言葉のケンカ
- 暴力
みたいな感じになっている気がします。
暴力というのはこぶしの力で相手を打ち負かそうとする原始的な方法です。基本的に力の強い方が勝ちます。
言葉のケンカは言葉を使っている分少し高度化しますが、ののしり合いとかになってその内容は大体があまり論理的ではありません。声が大きい人とかしつこい人が勝つように思います。
陰口とかいじめになるとより高度化してきて、本人には直接何かを言ったりしないけれど、どこか別のところで自分の気持ちを紛らわそうとしたり、悪口を言ったり、嫌がらせをして相手にダメージを与えようとします。基本的にはやっている方が楽で、やられている方が辛いという非対称な構成になります。
議論というのは、相手に自分の意見を伝え、相手の意見を聞いた上で話し合いをし、共に結論を出そうという試みです。許容は、違いを認める、許す、という事だと思います。
このほかに「離脱」、つまり一生会わない、みたいな方法があるでしょうがとりあえずここでは外します。
この4つのレイヤーというのは、上に行くほど高度です。例えば人間以外の動物は基本的に一番下の暴力か、せいぜい言葉のケンカくらいまでしかできません。
また、人が成長する過程でも、暴力→ケンカ→いじめ→議論・許容みたいな感じで順番にやり方を覚えていきます。いじめを覚えるのが小学校中学年くらいで、議論を覚えるのは高学年くらいでしょうか。
議論や許容を使って問題が解決できるようになりたいと思うのは、それがこの4つの中で一番高度で、大きな問題の解決が可能だからです。人間が長い歴史の中で培った洗練された方法だと思うからです。
「一度ひっぱたたかないと分からない」みたいな事とか「雨降って地固まる」みたいなケンカはあるし、「ちょっと愚痴を聞いてもらってすっきりした」みたいな些細な問題も多いので、それぞれの方法はもちろん使いようだと思いますが、少なくとも自分がこれから長い時間関わっていくことになる人とは、「議論」とか「許容」によって問題を解決できる道筋を確立しておきたいと思います。
暴力を振るっても、相手をなじっても、陰で悪口を言っても、基本的にはあまり問題は解決しません。自分の意見を相手に伝え、相手の意見に耳を傾け、認められる部分、認められない部分を明らかにし、お互いに問題を解決しようとする。あるいはその違いを積極的に認めようとする。
そういう方法を、必要な時にはちゃんと使えるようにみんなが身につけられればと思うんですけどどうですか。