興味の対価

昨日Attentionを支払って代わりに何を得るんだろうと書いたら、

この言葉の時代を生きのびていくために私たちは、屈強な検証者として、柔軟な創造者として、自信のうちの<小説>を錬磨していかなければなるまい。そうして確立される記述の分身、記述の天体が、今日の私たちにとって、可能な「自己」の顔なのである。

(「高校生のための小説案内」pp.225)
という文章を教えてもらいました
「自己」というのは良いですね。
物質的に色々なものを購入して「我が家」とかに物を増やしていくみたいに、「自己」の中に色々なものを増やしていくんだ、精神世界での買い物なんだ、みたいに考えられるかな、とか思いました。
ブログを書いて興味を示すと、さらにたくさんの知見をもらえて自己の肥しにできる、ということがまさにこうやって行われているわけですしね。
ROM=Read Only Memberという言葉に潜むちょっとした罪悪感も、結局「読んでいるだけ」ということが窃盗的だという直感的な感覚から来るのかな、とか思います。
メーリングリストに「読んだ」ということだけでも可視化されるような仕組みを入れてML 2.0とかどうでしょうね。