待たない生活

僕は何かを待つのが苦手です。正直に書けば何かを待つのが嫌いです。
交差点で赤信号が青信号に変わるのを待つとか、切符売り場で自分の番が回ってくるのを待つとか、電車のホームで電車が来るのを待つとか、そういう「待つこと」が苦手です。
これもきっと、信号も何も無い田舎で育ったからなのでしょうが、例えば高校のときも、電車に乗るのが嫌で片道15kmの通学路を自転車で通学していました。
人生は、そのときそのときの判断や行動の積み重ねのような気がしていて、例えば「朝起きて、学校に行って、帰ってきて寝る」という生活をするときに、朝起きて、自分の好きなご飯を食べて、自分の好きな時間に出発して、自分の好きなスピードで好きな道を走って、自分の好きな時間に学校に着く、という方が自然な気がしています。
これが逆に、「毎日7時15分の菰野駅発の電車に乗る」みたいな制約の中で暮らしていると、自分の自由意志みたいなのが削がれている気がして、本来自分の意思の積み重ねであるはずの自分の人生が、誰か他の人(近鉄湯ノ山線を運行する近鉄職員とか)によって毎日リセットされてしまうような感覚があります。極端な表現をすれば、自分の人生を誰かに乗っ取られているような気持ちになります。
朝5分遅く出発した日には、5分早くつけるように急いで走ったり、逆に少し早めに出発した日には、道を変えて寄り道ができたりすることが、とても大事なことに思えるのです。
待つ事をなるべく減らすために、通学、通勤はこれまでいつも自転車です。おかげで日常的には、あまりストレス無く暮らせています。一般的な電車通勤の方(家から駅まで信号に従って歩き、ホームで電車を待ち、信号に従って会社へ行く)に比べて、1日の待つ時間は10分間は少ないと思います。例え10分間としても、年間で3650分=60時間=2.5日分くらいになるわけで、年間数日分待たずにすんでいるのかと思うとほっとします。
そういう生活をしていても、どうしても待たなくてはいけない時はあるわけで、一番苦痛なのは車に乗っているときの赤信号と渋滞です。赤信号は一度止まれば毎回1分間くらい時間を奪われていくわけですが、そのくせその1分間の間に特に生産的なことなどする余裕はありません。(突然青信号に変わって後ろからクラクションを鳴らされるくらいがオチです)渋滞はもっと苦痛ですが、これはそういう場所に行くことを選んだ自分の自業自得な面があるので良いとして、信号だけは何とかならないものかといつも思っています。
そんなのほかの人も車に乗っているんだから仕方ないではないかという気もしますが、例えばフランスなどに行くと、信号はそれほどなくてロータリーが主流です。ロータリーでは、交差点に進入するかどうかの判断は機械ではなく自分が行うわけで、そうなってくるとタイミングを計って前に進むという自分の意思に支配された行動を取り戻すことができるわけです。
土地のない日本では全部をロータリーにするのは難しいかもしれませんが、せめてあまり交通量の多くない場所なんかはそうなってくれると嬉しいなと思っています。あとは、車に乗っかった電子機器などを使って、「悪夢の1分間」を生産的で楽しい時間に変えてくれるような方法がないものかと思っています。