文化の生まれるとき

最近メッセンジャーをよく使います。いつもYahooメッセンジャーを立ち上げていて、社内の連絡のみならず、色々な友人とのコミュニケーションにも使っているのですが、このメッセンジャーもそれはそれでメッセンジャー独自のマナーが必要だなと感じます。

いつでもまるで隣にいる人に話し掛けるかのようにメッセージを送れるメッセンジャーですが、案外会話を終わらせるタイミングとか、他のことをしながら会話をするのか、それだけに集中して会話をするのかなどの判断が難しいものです。

子供の頃、「電話がかかってきたら『もしもし、近藤です』と出るのよ」と親に教えてもらった気がしますが、よく考えるとこの「もしもし」という言葉も、電話という技術が生まれて、それを使うことが一般化したからこそ生まれた言葉でしょうし、電話ができたての頃は恐らく新し物好きの人たちの試行錯誤があったことでしょう。

Windows XP には標準でメッセンジャーが組み込まれ、常時接続が当たり前になるに連れて、誰もがメッセンジャーを利用する世の中になると思いますが、その中で、僕が今感じている難しさを解消するような礼儀、マナーが文化として形成されていくのだなと考えると、自分が今、文化の生まれるその現場にいるような気持ちになってきます。