OND、始動します。

こんにちは。このたび、株式会社OND(おんど)という新しい会社を立ち上げることになりました。

はてなを起業してから16年。立ち上げから13年間は社長として、その後3年間は会長として、はてなに関わってきました。この3年間は、社長の栗栖さんをはじめとするメンバーに、なるべく経営をお任せして、新規事業の創出に取り組んできました。この間、はてなの業績も組織も、安定して成長しています。

今のはてなの事業や組織を、これからも成長させつつ、新しいものづくりの可能性を最大化するには、別の会社で取り組むのが良いと思い、また会社を作ることにしました。はてなは、引き続き非常勤取締役として関わりつつ、ONDの事業立ち上げに注力していきます。

この数年間は、住まいの領域で、なにか新しいことができないかと取り組んできました。その中で、昨年スタートした「物件ファン」は、全国の物件に興味をお持ちの皆さんにご愛読頂けるようになり、毎月読者が増えています。ONDでは、この「物件ファン」をはてなから譲り受けて、これまで一緒にやってきたメンバーとさらに成長を目指すところから始めていきます。

不動産領域ではまだまだ僕たちは経験が浅く、不動産事業者さんやオーナーさん、そして物件を探されているユーザーの皆さんにたくさん教わりながら進んでいます。幸い、僕たちの取り組みに関心をお持ち頂ける方から温かいお言葉を頂いたり、応援していただいたりして支えられながら、ここまで進んできました。これからも、「物件が好きだ」という僕たちの胸の底にある気持ちを大切にしつつ、その思いに共鳴頂ける方々と共に成長ができたらと思っています。

また、ONDでは、不動産に関する事業以外にも、新しいサービスの創出に取り組んでいきたいと思っています。最近はインターネットもすっかり便利になり、新しいサービスが次々に生まれるような時代は一区切り付いたと言えますが、そういう時期にあえて、「新しいサービスを作る」ことにこだわっていきたいと思っています。

勝算は特にありませんが(笑)、「誰かがやらなくちゃ」という思いと、「どっちみちそれくらいしか得意なことはないので」という覚悟(というよりは諦め?笑)、そんな気持ちを持ちつつ、ぼちぼちとやっていくつもりです。

住まいの領域で新しいことがやりたい、という方や、新しいサービスを作ってみたい、という方は、ぜひお声がけください。面白いこと、やりましょう。ONDは、やる気と力のある人の「やりたい」という気持ちを、最大限活かせるような会社にしたいと思っています。

「やりたい」気持ちを形にする、孵化装置のような温かみ。温度感のあるものや、人のつながりを作っていきたい。輪になって踊るような場を作っていきたい。ONDには、そんな想いを込めています。

すっかり成長して、頼もしくなってきたはてなを見守りつつ、生まれたばかりでこれからどう成長していくかも分からないONDを育てていきます。

これからもはてなとONDを、どうぞ応援してください。
よろしくお願いします。

bukkenfan.jp
ond-inc.com

「物件ファン」はじまりました!

個性的な物件を日々紹介する「物件ファン」をリリースしました。
https://bukkenfan.jp/
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いきなり不動産?どうして?と思われるかもしれませんが、最近はこうした実際の生活に、自分の興味も広がっています。

これまではずっと、ブログのような、インターネット内で完結するサービスを作ってきました。そうしたサービスができたおかげで、ブログを作って自分の考えを書けば、見ず知らずの人から共感してもらえたり、新しい出会いが生まれたり、時には文章を書く仕事が来たり、といったことが現実に起こるようになりました。インターネットが無かった時代には、考えられなかったことです。

ブログ以外にも、普段あまり会えない友だちと連絡を取り合ったり、興味がある人の発言をフォローしたり、世の中の出来事を追いかけたり、と、自分の興味に応じてあらゆることがインターネット上ですぐにできるようになってきています。

一方で、実際の生活環境はどうなのか。自分のブログはとても綺麗にデザインしてあるけど、自分の部屋はごく普通の賃貸マンションだったりしないか。インターネット上では自分の好きな場所にどこでも行けるけど、自分が住んでいる場所は単に職場に通勤しやすいから、という理由だけで選んだりしていないか。

インターネット上のサービスがどんどん充実する一方で、リアルな生活の方はそれほど変化していないのではないか。ふと気付けば、実際の生活環境は、なんだか取り残されてしまったかのように昔のままになっていないか。

と、そんな気付きがありまして、「リアルな生活も、インターネットを使ってもっと楽しく豊かにできるのではないか」、ということをよく考えています。

リアルな生活が営まれる場所として、最も時間が長いのは、家です。バーチャルなインターネット上の自分の居場所は整ってきているけど、実際の自分の家の環境はどうなのよ、というところから、自分の家、部屋についてもっと考えるきっかけが作れたら、と考えました。過ごす時間の長さを考えれば、家に対する満足度が少し変わるだけで、生活の満足度は大きく変わると思います。

では、ちょっと高い家賃を払って、もっと高級な部屋に住むしか無いのか、というと、決してそういうわけではありません。最近は、自分の好みの内装に自由に改装できる賃貸住宅が生まれたり、他の住人と交流しながら暮らせるシェアハウスが増えたり、古い物件を自分でリノベーションして住む人が現れたり、といった新しい動きが、家を取り巻く環境の中で次々と起こっています。

高度経済成長期の日本であれば、「毎日がむしゃらに働いて、どんどん成長しよう。そのためには家なんて、会社に行きやすければ良いし、寝られさえすれば良い。」という価値観で生きて行けたかもしれません。しかし日本の社会は、経済成長が減速し、人口は減少し始めました。家に新しい価値を求める人が増え始めたのは、そうした変化の中、効率だけを求めるのではなく、家について真剣に考え、自分らしく暮らせる環境を手に入れたい、と考える人が増えたからではないかと思います。

自分の予算の中で、自分らしく暮らせる環境を手に入れるために、古い物件に自分で手を入れたり、他の人とリビングを共有して交流できる環境を手に入れたり、といった動きが生まれ始めたのではないか、と、そんな風に感じます。

自分らしく暮らす、と言っても、そもそもどんな可能性があるのか、を知らなくては、なかなか具体化することはできません。「物件ファン」では、これまでとは違う価値観で提供されているあらゆる物件をご紹介していきます。そうした物件を日々眺めることで、「こんな生活もありなのか」といった発見があると思います。

最初は「なんだか良いな」と思って眺めているだけでも、時間が経つうちにだんだんと、「自分は無垢材のフローリングが好きなんだな」とか、「窓から緑が見える家が好きなんだな」といった発見があると思います。単純に「住む家をさがす」というだけではなく、「自分がどういう暮らしをしたいのかを知る」、つまり、「自分を知る」ことができると思います。そうすれば、今よりもっと満足度の高い、自分らしい暮らしを手に入れるヒントになるかも知れません。

「物件ファン」をご覧頂いた方々に、一人でも多く、そうした発見が生まれ、暮らしの変化が生まれることにつながれば、と願いながら、これから運営を続けていきたいと思います。

不動産大好きな方はもちろん、ちょっと暮らしに興味がある、というだけの方でも、ぜひこれからたまにサイトを覗いてみてください。

https://bukkenfan.jp/

『数学する身体』を読んで〜僕が身体で感じていたことは、嘘でも無駄でも無かったんだ

森田くんが初めて書いた本。「数学する身体」。
わざわざ「本を届けたいので」と、会社の近くまで足を運んでくれて、ランチを共にしながら渡してくれた本。
構想ができてから書き上げるのに4年かかったという本。
もともと、文章を書くときにはとんでもなく集中して、丁寧に言葉を積み上げて、何度も何度も読んで味わえるような、スルメみたいな精緻な文章を書く森田くんが、初めて1冊の本を書いた、という本。
もうそれだけで、読む前から、これはすごい本だ、ということは分かっていた。

すごいというのは、とにかく、中身云々の前に、通常では考えられないような思考と集中を持って、作り上げられたものが、今目の前にある、ということだ。
そういう本を、適当に流し読みすることはできないので、こちらも読むときには多少の心構えが必要だった。
できるだけ頭が冴えている時間を選んで、なるべく本に集中できる環境が整った時に、読むようにした。
それくらいしないと勿体無い、と思った。

内容は、これまでに、数学の演奏会や、数学ブックトークなど、森田くんが行う数学のライブトークイベントで語られていた内容がベースになりながら、その中でも一筋の道として辿ることができる物語、あえて簡単に書くとすると、僕の理解が正しければだが、「数学が人間の身体から離れて抽象化・形式化していく過程と、再び身体の重要性を認識し、人間の心の不思議に迫ったアラン・チューリング岡潔という二人の数学者と森田くんの物語」とでも言うような、一筋の物語が語られている。

数学のライブトークでは、森田くんから溢れ出る言葉や、身振り手振り、まさに身体全体を使ったパフォーマンスに、ついていくだけで必死、終わった後は、こちらもなぜか少し身体に心地良い疲労感が残り、最高の知的満足度が得られる、という、そういう体験を毎回することになる。そこには、ユーモアに富み、圧倒的なスピードで展開する森田くんの言葉と身体表現が溢れているため、身体全体で取っ組み合いをしているような感覚がある。言葉は柔らかく、空気全体を震わせるため、身体が包まれるような感覚になる。道で言えば、ふかふかの落ち葉や木々に包まれた柔らかい道を、気持よく疾走しているような感覚だ。

一方でその内容が抽出され、文章に結実された今回の本は、言葉に全く無駄がない。展開する言葉の一つ一つが、しっかりとした意図を持って選び抜かれていることが伝わってくる。いかに長い時間をかけてこの文章が構築されたのかを思わずにはいられない。そのため、より本質的な内容が、固くストレートに頭に入ってくる。こちらも道で言えば、丁寧に敷き詰められた石畳の道を、一歩一歩確かめながら歩いているような感覚だ。

内容は、ここ最近、特にこの数年間自分自身が感じていることに近く、随所で「そうそう。そうだよなあ」と納得したり、共感することばかりだった。と言うよりも実は、僕がこの数年間で、それまでとは少し違う思考をするようになったきっかけを与えてくれた一人が、森田くんだった。

自分も一応、理系の学部を卒業した身ではあるが、数学や科学というものは、論理や形式の塊のようなものであるという認識を持っていた。全てが論理的に説明可能であって、この世界はそうした論理的な法則によって動いている、という認識だった。確かにこの世界には、科学がまだ解明していない事柄があるだろうけど、いずれは科学が全ての法則を解明し、この世がどのように動いているのかは論理的に説明できるようになるはずだ、という科学への万能感、一種の幻想を抱いていた。

このような世界に対する捉え方は、生活の随所に溢れ出てくるものだ。例えば何か問題があれば、その問題を論理的に分析し、論理的に導き出される解決策を着実に実行すれば、解決できるに違いない、と言った考えにつながっていった。例えば人間関係や、会社経営などの問題についても、根底にある基本法則を理解し、その法則の上で論理的に導き出される解決法を、その通りに実行すれば必ずうまくいくはずである、といった思考につながっていく。

しかしどうやら、なかなかそれだけではうまくいかないことがありそうだ、という事を感じ始めていた頃に、森田くんの話を聞く機会があった。そこで森田くんは、「数学は情緒だ」などと言い出したのである。

情緒などという、いかにも論理とは程遠い言葉が出てくる意外感。しかも、論理の塊のようなものだと思っていた数学をやっている森田くんが、僕がこれまで出会った中でも、とびきり頭の冴えた優秀な人だと思える森田くんが、「情緒」について語り始めるとはどういうことなのか。僕はその意味について、深く考えざるを得なかった。そこには、自分がこれまで見過ごしていた、重要な何かが隠れているに違いないと直感的に感じた。

このきっかけは、決定的に自分の科学に対する認識を変えてしまった。そして、少し大げさかもしれないが、世界の見方を変えてしまうことになった。

森田くんが象徴的に引用している、岡潔の「数学は、1という数の存在を証明することができない。1を成立させているのは、人間の情緒である。」という主張を聞くと、まず、そんな誰もが知っている基本的な事柄を、数学は証明できないのか。そんな曖昧なものの上に、数学は構築されているのか、という愕然とした気持ちになる。

しかし、実はどこかで、子どもの頃から身体で感じていたのに、その後たくさんの知識を詰め込んだせいで、まるで無かったことかのように封じ込めていた感覚。たとえば「りんごが1つある」ということを最初に「分かった」と感じた時の身体の感覚のようなものが、突然表舞台に引き戻されてきたような嬉しさがまた、同時に感じられた。僕が身体で感じていたことは、嘘でも無駄でも無かったんだ、という懐かしく温かい気持ちである。

そう、そもそも僕たちは、人間とはなにか、心とは何か、僕たちが生きるとはどういうことなのか、何も知らないではないか。当たり前のように毎日生きているけれど、なぜ生物として生き続けられるのか、よく分からない。当たり前のように、心があると思っているけれど、心とは何か、よく知らない。

薄々感じてはいたけれど、なんとなく無かったことにしていた疑問が、突然湧きだしてきて、「そもそも僕たちはほとんど何も分かっていないんじゃないか」、という感覚が自分を覆い始めた。

僕自身の体験談になってしまったが、この数年間、森田くんと接し、話を聞く中で自分に起きた変化とは、端的に言えばそういうことだ。そして、それだけ大きな変化を起こしてしまった重大なことが、この本には書かれている。

この本を読めば、心とは何か、が論理的に理解できるわけではない。しかし、僕たちが、いかに心のことや、人間のこと、自然のことを分かっていないか、が分かる。そして、分かっていないながらも、「心とは何か」といった、本質的な問いに向かって歩み続けることの潔さ、そこに生涯をかけ、歩んだ人たちの道のりがいかに尊いものであるかを感じることができる。少なくとも僕たちは、進み続けているのだ、ということを知ることができる。

その過程では、科学がこの世界を解明できるはずだ、という万能感からの挫折と無力感を感じる時もあるし、自分たちが分かっていないことが分かった、という新たな喜びや、だけど身体は分かっているはずだ、という希望を感じることもある。結果的に、僕自身にはそれらが入り混じったような、複雑な認識が身体に定着しつつある。

しかし、そのように、人間が分かっていることと、分かっていないことがあり、分かっていないことが分かるかどうかは分からない、という複雑な状況をそのまま捉えることが、実際に複雑な世界を認識する上でとても大事なことなのではないか、と感じている。そして、たとえ気の遠くなるような長い道のりだとしても、それでも今この瞬間瞬間に、少しずつでも本質的な問いに向かって進み続けることが、やはり価値のあることだと感じる。そもそも世界は複雑なのだ。簡単に答えを求めすぎてはいけないのではないだろうか。

僕はこの本を読んで、数千年にわたって複雑な世界の謎に向かう道を歩んでくれた方々と、そしてその道がいかに魅力に満ちた、意味のある道であるかを教えてくれた森田くんに、心からありがとう、という気持ちになった。

数学する身体

数学する身体