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TEDxKyotoの2人のプレゼンに見た不思議なつながり

http://www.tedxkyoto.com/
9月に行われたTEDxKyotoのビデオが公開されました。
TEDxKyoto Videos | TEDxKyoto

友人でもある森田真生さんと、平野啓一郎さんの2人のプレゼンを紹介します。両方ともとても魅力的なプレゼンです。

英語ですが、会場を動き回りながら楽しそうに話す森田さんから、数学への愛情がひしひしと伝わってきます。
森田さんが話しているのは、数学の基本となる「1」という数字が存在すること自体は論理的に証明できない、という話です。
数字の「1」が存在する理由は、人間がそれが存在すると考えているからである。「1」が存在する理由は、人の「情緒」によっている、というのです。
確かに僕たちは、たとえばりんごを見たときに、「りんごが1つある」という考えによってその存在を捉え、1つ、2つとものを数えます。数えるときの基本的な単位である、「1つ」というのは、そこに周りとは区切られた物体が1つ存在している、という概念に支えられている気がします。

平野さんは自己愛について話されました。日本語らしい味があり、胸に迫ってくるお話でした。
通常、人は、自分が好きか嫌いか、と考える時に、自分を1人の人間として考えます。そして、自分は結構良い奴なんじゃないか、とか、自分はダメな人間だ、と考えてしまいます。

ところが平野さんが提案しているのは、自分の中にはたくさんの自分がいる、という考え方です。自分は、付き合う相手によって変わる。家族といる時と、ともだちといる時では別の自分になっている。この人と一緒にいる時は冴えない自分になるけど、別の人といる時の自分は好き。であれば、自分が好きと思える相手との時間を大切にすれば良いのではないか。人を愛するということは、相手を愛するだけでなく、その相手と一緒にいる自分を愛することではないか。

この考え方は、とてもシンプルですが、言われてみれば確かにそうだ、としっくりきます。そして、自分は良い人間か悪い人間か、と思い悩む時、誰にでも助けとなる力を持っていると思います。


さて、数学と自己愛の2つのお話。全く違う分野で、一見関係が無いように見える二つのお話しの間には、不思議なつながりがあるように思います。

森田さんは「1」の存在は証明できないと言いました。「1」の存在は人の情緒によって支えられている、と。数直線を描いたとき、「1」は無数の数字の中のただの1点に過ぎません。「1」の他にもたくさんの数字がありますが、僕たちは「1」に特別な意味を感じています。

平野さんは「1人」の人間は、実は複数の人間の集まりであると考えられるのではないか、と話されました。あえて、人は複数の人間が集まっている、と主張しなければいけない理由は、人が通常はそのように感じていないからではないでしょうか。つまり、「自分は1人である」という考えが、生きていくうちに形成され、誰もが疑わなくなっているからこそ、あえて「1人」は複数の人間に分解できるのだ、という主張が必要になるのではないでしょうか。

二人のお話は、「ものが1つある」という概念についてのお話しである点で共通していると感じます。

僕たちは普段、りんごが1つある、とか、人間が1人いる、と感じながら生きています。そこには確かに物体としての境界がありますし、その境界を単位として物事を捉えると理解しやすいと思います。しかし実は世界はもっと複雑で、「1」の周りにはたくさんの数字がひしめきあっているし、「1人」の人間の中には複数の人間が集まっているのが実態なのではないかと思います。お二人のお話を聞きながら、自分が普段単純化して見ている世界の向こうの、複雑だけど拡がりがあり、たくさんの可能性のある世界を見た気がしました。