横井軍平、宮本茂

任天堂関連の書籍をいくつか読んでいたら、横井軍平宮本茂といったゲームクリエイターの存在がいかに重要かということを感じた。さまざまなヒット作のゲームの裏側には、大規模な開発を支えるエンジニアやデザイナーやそのマネジメントチームがあり、そうした人々の技術やチーム力、いわゆる"カイゼン"的な努力などが秀でているということがあるだろう。しかし、ユーザーに一番近い部分でゲームやおもちゃの面白さを決めている人=クリエイターの存在を欠いては、面白いものは作れないのだという事を歴史が物語っているように思った。任天堂は、こうした人たちの存在価値を認め、大切にしてきたから今の状態があるのだと思った。
画家や音楽のアーティストなどと違って、ゲームや建築、家電、インターネットサービスの開発には高度な工学的技術が必要であり、開発を進めるためにはたくさんのエンジニアが必要となる。人数的には、クリエイターやそれに順ずる人が1,2人いて、エンジニアが大多数、という構成になる事が多いだろう。エンジニアは技術的な追求をしたがるし、技術面で尊敬できる人の言う事を聞きたいと思う。一方でクリエイターは、ユニークなアイデアを考え、それを形にしたいと考えているが、技術面でエンジニアに劣る事もある。この2種類の人たちがどうやって協力しベクトルを合わせられるのか、というところがものづくりの最も困難で重要な課題だと思う。
中島聡さんはおもてなしの経営学で、これを「スーツとギーク」問題として表現していたが、どちらかというと「アーティストとギーク」なのではないかと思う。横井軍平宮本茂スティーブ・ジョブズ本田宗一郎安藤忠雄などを並べて思うのは、スーツというよりアーティストという印象だからだ。そして、特に日本人クリエイターの共通の資質ではないかと感じるのが、人懐っこさ、人間的な広さ(技術への深い理解と美的、哲学的な思考の深さ)、音楽好き、豊かな幼少期だ。
このような人々の活躍で日本が世界に向けて提供している価値の多さを考えれば、こうした人間をもっと力を入れて育てるべきなのではないか、と感じる。