「正しい」って何だろう

人と議論をしているとよく「何が正しいのか」という事が問題になります。「その意見は正しいね」とか「君の言っていることは間違っている」みたいな話です。

議論というのは基本的に最も「正しいらしい」と思われる結論を導き、それに全員が同意することを目的にするものだと思っているのですが、議論をしているとたまにこの「正しさ」についての認識が違うな、と感じることがあります。

基本的に僕は、「正しさ」には個人的なレベルと全体的なレベルの2種類があって、個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」のだと思っています。

例えば僕が「この部屋が暑い」と言えば、例え気温が5度しかなくてもそれは「正しい」わけです。「5度の部屋が暑いなんて間違っている」と言われても、暑いと感じた人にとっては「暑い」事は事実でしょう。

もし僕が「この部屋の温度は10度を超えている」と言えば、それは正しくはありませんが、こうやって科学的に証拠を提示できる問題以外については、基本的に絶対的な正しさなど存在しないと考えています。

この話をはてなの業務に持っていくと、例えば「submitボタンの『戻る』と『進む』はどちらが右側が良いか」みたいな議論をやることになったとして、こういう時に「僕は右にある方が正しいと思う」とか「いや、左でしょ」と言うのはやっぱり全部正しい意見だと思うのです。その人が「右にある方が自然だ」と思うのなら、その感じた事自体を否定することは誰にもできないはずです。

ただし、「インターフェースのセオリーから言うと…」とか「常識的には…」といった理由が出てくると、少し話が霞んで見え難くなります。こういう理由は立派な根拠のように思えて、実際には「セオリー」「常識」「普通は」といった言葉自体は何も語っていないわけです。

全員がその根拠について深く知っていたり、同意しているのでない限り、もしこういった言葉を根拠にするのであれば、なぜそれが根拠になり得るのかを理解し、少なくとも自分の中ではその意見に同意していて、その理由を議論の相手に伝えられる必要があると思います。

例えば「インターフェースデザインの良書と言われている『○○』の著者の××さんは『人は右方向に未来を見る』と言っていたけど、僕もその通りだと思うから進むボタンは右だと思う」とかなんとか。

自分が一番知識が多いから正しいはずだ、とか、自分が一番長い時間考えたから正しいはずだ、みたいな人の話は眉に唾を塗って聞くのが良い対処法でしょう。あと、「この人の意見は必ず正しい」みたいに特定個人を神みたいに崇めるのも自分の思考が停止していて危険だと思います。「天才」とか「専門家」とか「権威ある」みたいな言葉は自分の思考にフィルターをかけるので注意が必要です。

一方で、議論の結論を導くのに必要な全体的なレベルの正しさと言うのは、「いかに多くの人の意見を代弁しているか」という事なのだと思います。「進む」ボタンは右が自然だと思う人が6割、左だと思う人が4割いるとして、もはやセオリーも常識も天才もへったくれもないわけです。6割が自然だと思うならば、結論としては右が「正しい」でしょう。

よくはてなでは、何かを変更して欲しいという要望が出るときに「修正してください」という意見をもらうことがあります。僕はこの「修正」という言葉がいつも気になります。

「修正して欲しい」ということは、現在の状態は「間違い」であり、要望の内容は「正しい」と主張しているわけです。もちろんそういう場合も多くあります。例えばヘルプの文章に書き間違えがある場合などです。しかし、一概にどちらが正しいとも即座に判断できないような問題に対して、「修正」という言葉を使うのは不適切だと思います。そういう言葉を使う人を見ると、「この人は自分の意見によほどの自信があるんだなあ」と感心します。

議論をする時は、個人レベルでの各自の意見の正しさを尊重しながら、全体レベルでの最も正しい結論は何かを話し合い、時には自分の正しさと全体の正しさが異なることを受け入れながら、最適な結論に全員で合意ができるような、そういう生産的な議論がいつもできると良いなあと思います。