無趣味のすすめ

ゲーテ』という雑誌ができたみたいで、その創刊号に村上龍の「無趣味のすすめ」というのが載っています。

まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。

現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。

ちょうど今日ははてなのPodcastの音質を良くしようと録音機材屋に行ってあたらしいマイクを物色していたんですが、「なんでそんなに次々と新しい機材を買うのか」という問いにはうまく答えられそうになくて、でもこういうことだよなあと思いました。

プロフェッショナルを志向するということは、批判を受け入れるということであって、「録音品質が悪い」と言われたら自分の仕事を否定されたというように重く受け止めて、必死で改善しようとする。そういうことでようやくそれは趣味の域を脱することができるし、自己満足から抜け出せるんだよなあ、と思います。

僕はプログラマだから、とか、この会社はウェブの会社だから、とかいった既存の枠組みによって可能性を狭めるようなことにはそれほどこだわることはなくて、ある程度興味があるのならとことんやれば良い、という気がします。(と、ちょっと正当化してみるテスト)