Folksonomyの行方

id:naoyaの「自分のためがみんなのためになる。「Folksonomy」による情報分類」
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/alphageek/10504.html
が公開されました。

Folksonomyや、最近良く見るタグによる分類について解説されています。はてなブックマークのタグの解説も出てきます。

そこでしばらくしてタグ機能を追加してみたのですが、やはりWebのような無限の広がりがある環境での分類と発見という意味においてはこちらの方に分があるようです。それから、最初は面倒そうだと思っていたタグつけも、やってみると案外楽しかったり。ここが一番意外なところでした。

一方で、特定のキーワードで任意の話題を追いかけるとか、タグにならなそうなマイナーだったり固有名詞としての意味合いが強いキーワード、例えば人名や地名といったものは、やはり機械による自動抽出がうまくいきます。ということで、はてなブックマークはキーワードとタグの2つの分類軸がある、ちょっと変わったソーシャル・ブックマークになりました。

ということで、はてなブックマークが「タグ」と「キーワード」のハイブリッド型Folksonomyであることが述べられています。

はてなブックマークはなぜハイブリッドになっているのか、はてなダイアリーはなぜキーワードなのか、Folksonomyは"Tag"と"TagCloud"が最終解なのか、ということを少し考えてみたいと思います。

まず、「はてなダイアリーはタグで分類した方が便利なんじゃないの?」という仮説を考えてみたいと思います。例えば今、はてなダイアリーでは見出しごとに

[folksonomy]Folksonomyの行方

みたいなカテゴリーをつけていますが、このカテゴリーの全体の一覧ページを作って、カテゴリー名に応じて記事を探すことができたらどうか、というアイデアです。
(実際ブログにタグをつけてFolksonomyしようという動きは色々なところで出始めていますね)

これはそれなりに機能しそうですし、十分に利用価値がありそうです。(誰かがBlog Taggingの利用を推し進めて標準化したら、はてなでも見出しカテゴリーをその仕様に従えるでしょう)

この時にタグには無いキーワードの有用性が確かめられるのは、

確かにこのエントリーは「Folksonomy」というタグから発見できるかもしれないが、「TagCloud」というタグからは発見できない。一方でキーワードならば、「TagCloud」というキーワードから発見できるではないか

という点だと思います。一方で

キーワードは情報が多すぎて、人間が意図的に分類したもの以外が引っかかってしまう

という不便な点もあります。

ここで分かるのが、「タグ以外に十分なテキストがある場合には、キーワードが有効に働く場合があるのではないか」という事です。

日記のように一人の人間が分類のためにつけたカテゴリー名を頼りにするよりも、その下に書かれた本文=大量のテキストの中身を見るほうがより確実に情報を探し出せるのではないか、という点です。

一方で、例えば写真のようなコンテンツの場合には、「本文」は画像であり、キーワードの抽出のしようがありません。はてなフォトライフでは画像のタイトルからキーワード抽出を行っていますが、タイトルを入力しない人も多数居るわけでFlickr
http://www.flickr.com/photos/tags/
のようなタグによる分類に分がある気がしています。(そろそろタグに変更しても良いかも知れません)

この考察から考えると、昨日リリースしたはてなグラフはタグ型の分類によって、「体重つけている人集まれ」みたいなことをやった方が有効そうだ、と言うことがわかります。(恐らくそういう機能をつけるでしょう)

さて、こういう視点で最初のはてなブックマークを見てみましょう。これはどうなっているかと言うと、

  • タグをつける人は一人ではない(100人がタグをつけたら十分に必要なタグは網羅されるのではないか)
  • もともとそれなりに本文がある(もとのエントリーにはテキストがいっぱい)

という両面を持ち合わせていて、「タグをつけた人が適切なタグをつけないので情報を見つけられない」といった問題が多数のユーザー(まさにFolksですね)によって回避されているという性質があり、且つ、キーワードが抽出できるテキストも持ち合わせている、という両面を持っています。

この結果が今のはてなブックマークのハイブリッド状態に結びついているのだなあ、と思います。

はてなダイアリーキーワードを全員でツリー状に分類しましょう、という取り組みは色々と無用な紛争を生んで崩壊してしまいましたが、まだまだ「タグ&雲」だけではないFolksonomyのあり方があるのではないかと考えていますし、そういうものを今後も模索していきたいと考えています。