機械がすべきこと、人間がすべきこと

最近機械がどこまですべきで、どこからは人間がすべきか、ということについてよく考える。僕は

  • オートマチックの変速機
  • 信号
  • オートエアコン

が嫌いだ。例えば街中で、上記3つが全て整った環境でドライブをするとき、人間の役割と言うのは、ただ自動車の流れの中で、信号に合わせてアクセルを踏んだり、ブレーキを踏んだりするだけの単純作業と化しているように思う。空調もボタンを一つ押すだけだ。
ただの作業ならそれも機械がすればいいはずなのに、事故が起こったときに自動車メーカーが責任を取るのは嫌だから、代わりに操作をさせられている気さえする。
エンジンの回転数が4000回転に達したから4速にチェンジしよう、といった事を僕は考えたいし、今日はエンジンの調子がいいな、といったことも感じたい。
信号だってロータリーを増やせばいろいろと考えることができる。今なら行けるかな、と考えながらタイミングを計るのは素敵なことだし、大体どれだけ急いでいても、のんびりしていても、目的地に達する時刻がまるで変わらないと言うのは精神的に苦痛だ。
エアコンもそう、今の風は涼しすぎる、暖かすぎる、といったことくらい自分で判断できる。