機関銃とデジタルカメラ

枚数を気にせず撮りまくれるのがデジカメのいいところ、と書いたのは何週間か前、それからことあるごとに写真を撮っているのですがここに来て考えている事があります。

5日間のイベントを撮影しました。これまでカラーリバーサルフィルムで撮影していたのですが例年は一日50枚程度。それが初日100枚、2日目200枚・・・と比例関数的に枚数が増え、5日目は500枚となりました。昨年までの10倍です。

確かに”使える写真”の枚数は増えました。しかしその数は10倍からは程遠く数倍がいいところ。歩留まりが下がっているのです。常にタイミングを狙っていて少しでも良い瞬間があればシャッターを押す、そうする事でものにできる瞬間があるのも確かなのですが、しかし、それであればビデオカメラを回しておいて、あとから取り出せばいいんじゃないかという疑問がふと胸に浮かびました。

とにかく撮りまくってあとから使える写真を抜き出せばいいという考え方の行き着く先はビデオカメラによる写真撮影だと思ったのです。それはいわば、機関銃で狩りをするようなものではないか。そして、それはひどくつまらないものだろうと感じました。

写真には、ある瞬間を切り取るという編集作業的な要素が大きく含まれていることに気付きました。ただ一瞬に賭ける気持ちが、情感となって映像に表れるのです。

仕事でもなければ、1GBのマイクロドライブは要りません。128MBのコンパクトフラッシュに、全部詰め込めばいい、そんな風に思いました。