天声人語ではてなをご紹介いただきました

今日から10月。世の中的には下半期が始まったり、随分と暑さも収まって季節も秋になり、また新しい気持ちで進んでいこう、と思っていた矢先、朝日新聞の天声人語で、はてなのことをご紹介いただきました。

天声人語といえば、入試や教科書にも出てくるコラム。なかなか一企業の取り組みが個別に紹介されるような場所ではないと思いますが、今回、はてなでの取り組みを社名入りでご紹介頂いています。

中学生だった頃から、世の中でなかなか本音が語られず、意味のない制度だけがひとり歩きしてまともな意見が聞き入れられないような社会の雰囲気に違和感を感じていました。自分で会社を作った以上、まっとうな意見がちゃんと通る組織にしたい、と思って会社をやってきています。

そうした取り組みについて、2006年に『へんな会社の作り方』という本に書かせて頂きました。

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

今回は、その本から、社内での風通しを良くする取り組みについてご紹介を頂いています。

2006年に本を書いてから7年。あれから会社の人数も増え、本に書いてある内容をまだやっていることもあれば、考え方はそのままでも、やり方がどんどん変わっている部分もあります。

実際は、組織の階層が増えてだんだんと思っていることが言えなくなったり、逆に思っていることを不適切な方法で伝えすぎて相手を傷つけてしまう、といったことも起こり、そのたびに組織作りの難しさを感じて今に至ります。

ということで、まるで理想的な会社のようにご紹介頂いていますが、僕たちはまだまだ成長していかなくてはいけないところばかりです。
ただ、会社を創業した当初の、ちゃんとお互いが本音で語り合えるような組織でいたいという気持ちは変わりませんし、最近ますますその重要性を感じています。

ご紹介に恥じないよう、これからも頑張って良い組織にしていきたいと思います。
朝日新聞さん、ご紹介ありがとうございました。

どこが不格好なんだ『不格好経営』

DeNA創業者の南場智子さんが、『不格好経営』という本を書かれて、これまでの道のりを僕たちでも読めるようにしてくださいました。なかなかお話をお聞きする機会も少ない方ですから、とても嬉しいことです。そして読んでみると、とにかくすがすがしい気持ちになりました。

どうして不格好かというと、DeNAの歴史は波乱の連続。まるでドタバタ劇のように次から次へとトラブルやピンチが訪れて、それを持ち前の明るさとタフさで前向きに乗り越えて行く、というドラマの連続だからです。

DeNAというと、ソーシャルゲームで儲けまくっている会社、というイメージですが、その歴史は、なかなか黒字が出ずに苦労されたり、新規事業の立ち上げに苦労されて、業態転換を余儀なくされたり、と波乱万丈。ところが、シリアスな話のはずが、なぜか毎回クスッと笑ってしまうようなディテールの描写と、明るさがあります。なにか、コメディドラマを見ているようなおかしさ。ものすごく真面目に一生懸命やっている人の、がむしゃらさと、ある種の滑稽さ。それを実は自分でも分かりながら、他の楽しみはすべて捨てて、ただただ仕事に向き合い続ける潔さ。そこに圧倒的な集中があり、だからこその成功があり、とてもすがすがしい気持ちになるドラマです。1ページに1回くらいクスッと笑い、10ページに1回くらい涙を浮かべながら読みました。

客観的に見ると、経営史です。しかし、僕が一番感銘を受けたのは、礼儀でした。礼儀という言葉が一番適切かどうかは自信がないですが、とにかく南場さんは人を大事にする。人間に対する愛情や、思いやりから来るのであろう、礼に満ちた態度だけは、最初から最後まで一貫しています。

本の前書きにこんなくだりがあります。

「本を書くことを躊躇していたひとつの理由は、お世話になった人、頑張った社員について、すべてを平等には書けないし、感謝の気持ちも到底十分には伝えられない、その失礼が耐えがたいということだった。」

僕も一度本を書いたことがあります。お世話になった方にとても失礼な事ですが、こんな考えには及びませんでした。これまでの事を振り返るのであれば、世話になった方に適切な礼を述べるべきである、と仰っているわけです。ハッとしました。

上場後に株を売る時の話も印象的です。創業から随分経ち、DeNAが上場したあと、創業メンバーの渡辺さんが株を売りたいと言い出した。渡辺さんはすでに一度小説家を目指してDeNAを辞めて、また戻ってきた経緯もある。ところが南場さんは、創業の時に約束したから、と売却を止めます。南場さんと川田さんと渡辺さんの創業メンバー三人で、「株は売らない、売るなら一緒に」と約束したじゃないか、と。その約束を守るために、三人で手はずを整えて、同じ数だけ合わせて売却をした、というのです。

そんな約束があったのなら、仕方がないだろう、と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そもそもベンチャーの創業時の約束なんて、夢みたいなものです。「僕たち成功して上場しような!」と話していたとしても、実際に上場できる会社はほとんどありません。メンバーがそのまま仲間でいられる事も稀です。そんな夢みたいな話を、何年経ってもずっと覚えていて、何よりも大切にする。物語として美しいと思いました。どこが不格好なんですか。格好良すぎます。

そしてあとがきで、リクルートの信國さんとのエピソードが紹介されて、結ばれています。

創業時にリクルートに出資を仰いで、事業の立ち上げにも協力してもらったリクルートから、立ち上げを手伝った優秀な社員の方がDeNAに転職された。それで信國さんから6時間詰められた。南場さんは、本人の意思です、と言い続けた。その後に信國さんとは疎遠になり、きちんと話ができないまま信國さんが他界された。南場さんは、その事が、こんなに自分を苦しめるとは思わなかった、と仰っています。そして、人を採ったことよりも、自分は誘っていないと言い続けたことが自分を苦しめている、と締めくくられています。

南場さんは、「本書を執筆した理由のひとつは、信國さんに伝えたいことがあったからでもある」と書かれています。自分がお世話になった方へ、礼を尽くせなかった事を悔い、この本を捧げられたのだと感じました。自分の事や、DeNAの事ではなく、他のどんなあとがきよりも、創業時にお世話になった方への恩を優先されたのだと思いました。

どうして最初から最後まで、ここまで礼儀だけは一貫されているのかと考えると、きっとご両親の教えなのだろうと思いました。

冒頭に紹介されるお父さんは、かなり厳しいお父さんで、父の言う事は絶対。特に理由は説明されないが、父が決めればそれが絶対的に家族の決定、というご家庭です。父が家に帰るとなると、お母さんと妹さんと三人で父を迎える準備をし、ご飯を出す、というご家庭だったそうです。

あまりに厳しいし、理不尽に感じます。ところが、南場さんはそのお父さんのことをまるで悪く書いていません。お母さんが、その父を支えられ、それが正しい、という秩序のある環境を作られていたのではないかと思いました。そしてその秩序だけは維持されていて欲しい、と思う南場さんのお気持ちが、一貫した礼に満ちた態度を作り出しているのではないかと感じました。

すがすがしさのもう一つの理由は、人に対する一貫した礼に満ちた態度です。礼儀は、ある種、理不尽なものだと思います。挨拶をしたら挨拶を返せ、という話に対して、なぜか、と言ったところで、なぜも何もなかったりします。理由なんてないのに、ここまで物語を美しくする。人をすがすがしい気持ちにさせてくれる。そういう人としての大切な態度を、学ばせて頂いた気がします。南場さん、ありがとうございました。いつかまた、お話してみたいです。

不格好経営―チームDeNAの挑戦

不格好経営―チームDeNAの挑戦

短足のスーパーマン

僕の実家は田んぼがどこまでも広がる田舎だったので、犬と言えば軒先でわんわんと吠えまくり、知らない人を見れば追いかける生きものでした。おかげで僕は犬が怖くて、いつもびくびくしていました。父親もそうだったと思います。

妻のれいこさんと交際をするようになって、まず最初の難関が彼女の飼い犬でした。家に上がると部屋の中に犬がいて、こっちに寄ってきます。い、犬だ…と思いながら、恐々と足を舐められていました。

はじめて二人で部屋から出かけた夜、部屋に帰ってみると、部屋中に引きちぎられたスリッパが散乱していました。れいこさんを、僕が奪っていったと思ったのでしょう。後にも先にも、しなもんがそんなことをしたのは一回きりでした。

しなもんの愛くるしさのおかげで、僕の犬嫌いはすぐに直り、一緒に散歩をするようになりました。僕はどうしてもうんちを拾うのが苦手で、そちらはもっぱられいこさんの担当ということになって、そこから15年もお任せしっぱなしでした。うちの庭に落ちていた最後のうんちは、せめてもの罪滅ぼしに、と、自分で拾いました。散歩の時の僕の担当は主に遊びで、サッカーをしたり、テニスボールを投げたり。

しなもんはとにかく走るのが好きで、テニスボールをどれだけ遠くに投げても、喜び勇んで駆けていき、嬉しそうにボールを咥えて全力でこちらに戻ってきます。どれだけ投げても飽きることなくボール投げをせがむので、こちらもむきになって、力の限り遠投をして、100mくらい向こうまで転げたボールを取りに走らせることもありました。はじめてボールを投げた船岡山公園や、京都府立大学のグラウンド、高野川、渋谷では鉢山オフィスのテニスコートで走り回り、駒沢公園に移動したあとは、Mountain ViewのCuesta Parkが、そして京都に戻ると鴨川が彼のフィールドでした。

熱中している人をみると、とことんやらせたくなるのは僕の親譲りで、そんなにボールを追いかけたいなら、限界を見せてみろ、といわんばかりに延々とボールを投げ続け、涼しければゆうに30回は投げたか、というあたりで、ようやくしなもんもへこたれ、ボールを拾ってこちらに戻ってくる途中で走るのをやめてぺちゃんと地面に座り込み、ボールを下において舌をベロンと出しながら、はあはあはあと息をしている姿の満足そうなこと。

短い足を、前足は前に、後ろ足は後ろに伸ばして、不恰好なスーパーマンのような姿で、草むらにぺちゃんと座り込んで、はあはあはあと満足げな顔で息をしているしなもんがたまらなく好きでした。お前の今の目一杯の力を、僕は見てやっているぞ、と思いながらその姿を眺めていました。飼い犬の散歩、というよりは、子育てをしているような気持ちで。この子はどこまで走れるようになるのだろうか。走り続けた先に、何があるんだろうか。しなもんの未来を楽しみに思いながら、力の限り生きる命を見守っていました。

でも、犬はやっぱり犬です。僕たち夫婦が子どもを授かり、家族が四人になると、人間の子どもの手のかかることかかること。といっても、こちらももっぱられいこさんにお任せしっぱなしのだめな父親なのですが。最初はしなもんがお兄ちゃん面をして、息子の時は少し警戒していたのですが、時も歩けるようになり、言葉も話せるようになってくると、少し対抗して喧嘩するようになりました。そうこうしている間に、しなもんの体力が落ちてきて、ボール遊びもしなくなり、ゆっくりと散歩をするのが日課になり始めたあたりで、時としなもんは仲の良い友達のような具合になりました。時が金太郎よろしくしなもんの上に乗ろうとするのを、しなもんが頑なに拒否して逃げ惑う。追いかける時。逃げるしなもん。時はしなもんのお尻の毛をつかんで追いかける。しなもんはやめてくれよう、と逃げ惑う。

しなもんのお尻の毛は誰が名付けたのか、もん毛と言うんです。モフモフしていてこれがまた気持ちが良い。このもん毛が曲者で、どこにでもついてくる。出張先のホテルでかばんを広げると、中にもん毛がくっついている。いつもそばにいるよ、とばかりにしなもんがくっついてくる。しなもん、ここにもいたのかよ。挙げ句の果てに、折りたたみ式の携帯電話の画面の中に、もん毛が現れた時にはびっくりしました。取れないし。しなもんよ、ここにもか。ほんとにどこまでもついてきた。

れいこさんはどうもかわいいものが好きで、というか、れいこさんが育てるとなんでもかわいく育つのか、どういう因果かよく分からないけど、しなもんも時も随分かわいく育ちました。そんなものは単なる親バカであろうと思うものの、ブログを読んだ方や、会いに来てくれた方からもかわいいかわいいと言われ。しなもんを連れて散歩していると、女子高生にも、なにあの犬!かわいい!やばい!、と声をかけられるという。なんという役得。飼い主的な意味で。そんなに言われるということは、外様から見てもかわいい部類に入るのでしょう。はてなのユーザーさんからは、いつしか会長と呼ばれるようになりました。

自分の飼い犬が会長!?自分が社長だ、ということもしっくりこないのに、会長ってなんだ。犬って会長になれるのか。法的には無理だろうし、頑張ってくれている社員やユーザーさんにもふざけているみたいで失礼な気がする。公私混同甚だしい、と思ったから、自分は何もしなかった。黙っていた。しなもんを溺愛するユーザーさんとお話した時は、あえて犬と呼ぶようにした。それでもしなもんは愛された。僕のつれない態度なんかそっちのけで、しなもん人気はうなぎ上り。こんなに愛された犬なんているの?インターネットでは犬が会長になれるの?社長よりも犬の方が人気だよもう。

社員も社員で、勝手にしなもんをマスコットみたいにして、はてなのサーバーが不具合を起こしている時は、しなもんがごめんね、って謝るようにしてしまった。しなもんの公務誕生。なんでつながらないの、と思われている方に、社を代表してお詫びをし続けてくれた。ありがとう、しなもん。あまり褒められたことではないけど、不具合が多い時期があって、たくさんの方がしなもんを知るようになった。

はてなブックマークのコメント欄を見たかい、しなもんよ。1600usersだってさ。お前、どれだけ愛されていたんだよ。しなもん日記のスターを見たかい。まるで献花の花束みたいだった。人間のお通夜みたいに、我が家でお別れ会を開いたら、身内だけで50人も来てくれたよ。しなもんおまえ、どれだけたくさんの愛を振りまいたんだよ。

6月21日金曜日にしなもんは逝きました。ちょうど土曜日と日曜日に必要なことが全部終わる金曜日の午後に。ちょうど、会社のTGIFが予定されていて、会社のメンバーの夜の予定が空いていて、別れを言いに来れる金曜日に。社内でもことさらしなもんを愛してくれていたきよひろが、なぜかたまたま京都出張している金曜日に。ずっと前から、実家の父と母が楽しみにしていたスペイン旅行が終わり、日本に帰って今なら別れに駆けつけられる、という金曜日に。

何もかも分かっているようだった。この日を待っていたような逝き方だった。最後まで、僕たちを守ってくれた。

そう、守ってくれていたんだよね。いろいろ未熟でした。夫としても、社長としても。犬が会長なんて、と言いながら、助けてもらっていたのは自分でした。それも見届けてくれたんだよね。ここからは、お前たちでやっていけと。ちょうどこの五月は、そういう変わり目でした。

皆さん、たくさんのお言葉を頂いてありがとうございました。お別れに来て頂いた方、お花を頂いた方、電話やメールやお手紙を頂いた方。しなもん日記にスターやコメントをつけて下さった方、はてブにコメントを頂いた方、ブログの記事を書いて頂いた方。皆さまのお気持ち、届きました。しなもんは幸せものです。温かいお言葉を頂き、ありがとうございました。こんなに愛された犬はいないと思います。

会長がいなくなり、はてなとしても一つの区切りの時を迎えることになりました。しかし、はてなには、新しい才能が花開こうとしています。どこまでもユーザーさんの立場に立って、良いサービスを作ることに一心になって仕事に励む優秀なメンバーがめきめきと力をつけています。サーバーの不具合でしなもんを見る機会も随分と減りました。犬が会長の変な会社を粋に感じ、集まってくれた魅力的な面々が、力を合わせ、ここから、またはてなを盛り立てていきます。

会長の穴を埋め、皆さまに最高の体験をお届けできるよう、力を合わせはてなは進んでまいります。
皆さまどうか、これからのはてなを、よろしくお願い申し上げます。